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海外展開の可能性
日本型ものづくりの国際化に向けて—ベトナム編—

日本のものづくり中小企業は近年厳しい状況に置かれている。リーマン・ショック以降、内需・外需ともに落ち込みはきわめて大きく、生き残りをかけて、あるいは新たな事業展開のために、この数年、多くのものづくり企業が海外展開を検討し、実行している。今回の特集ではASEAN諸国の中でも、中小企業の間で依然として進出意向の高い国・ベトナムにフォーカスを当て、進出後、順調に業績を伸ばす2つの企業と、さらに進出を念頭に置き、新しくダイナミックなつながりを構築中の企業から見た、「リアルなべトナム」の姿を語ってもらった。ものづくり企業がグローバル企業へ雄飛するために必要な視点、越えるべき多くの課題、メリットやデメリットとは?現地を知る経営者たちが深く掘り下げる。

なぜ海外なのか、海外で有効なものづくりとは。

山田 当社では熱や圧力をかけて、ポリエチレンなどの袋の口を密封するシール機をつくっています。「富士インパルス・ベトナム」を設立したのは1997年4月で、ここでは日本向けの小型インパルスシール器の量産が中心です。2009年の設立以来、現地をまかせていた加門社長から、ホーチミン工科大学出身のコア新社長へとバトンタッチし、現在は100名ほどの現地スタッフで運営しています。
小浦 当社は工場の自動化機械の設計製作、機械部品加工までを扱うメーカーです。ベトナムではFA用機械部品の製造をしています。当社がベトナムに進出したのは2005年で、社長は私が務めていますが、実際現場はフン副社長が取り仕切っています。現在の工場面積は1600平米ほどで、メッキをする第2工場も所有し、来年の夏頃には、この1.5倍の広さのあるロンハウに移転予定です。
田中 多品種小ロット生産の、機械部品の加工業をやっています。長年の顧客が2008年に新市場に進出するにあたり、現地調達率を上げるため、10年以上続いていた取り引きが途切れました。現地調達でないというだけで、案件が目の前を通り過ぎてゆく。何とかしなければと、台湾・中国・韓国の工場、そしてホーチミンも見学しました。現在は自分の考える海外展開のイメージを、実現できるカタチにする環境整備の途上といったところです。
小浦 将来的には、向こうに行きたいとお考えですか?
田中 そうですね。その前にベトナムで「何をするか、どんなものづくりができるか」を明確にしないと。ただ海外の工場を見学するうちに、現地でものづくりと真剣に向き合う、多くの人と出会って。今は先の課題を模索しながら、彼らとコミュニケーションを図り、ローカルのネットワークを構築している状況です。みなさんは、いつ頃から、ベトナム進出を考えられたのですか?
山田 1990年頃です。ベトナム戦争終結後、'84年以降、ボートピープルが日本にやってくるのですが、姫路には彼らに日本語を教える定住促進センターがあって。当社取締役の加門が難民の支援活動をしており、その縁で5名を正社員として採用しました。その後、難民の一時帰国が実現した際、一緒に訪問して。現地を見て、いつかベトナムに工場を建てたいと思うようになりました。
小浦 うちは外国人研修制度がきっかけです。まだ世間に浸透する前の1999年からこの制度を利用しており、今、副社長をしているフンという青年が、第一期生だったんです。
山田 現在の『外国人技能実習制度』(以下、「実習制度」)ですね。
小浦 そうです。この制度で3年間頑張ったのに、帰国して縁が切れるのはもったいないと感じて。次の研修生の面接に行った時に、彼を代表とした駐在事務所を設立し、ローカル企業で製造して日本に入れる流れをつくりました。しかしつくったものが届いてみると修正の山(笑)。現地工場の必要性を感じましたが、いきなり進出はリスクが高いので、小さなプレハブ工場からスタートしました。
田中 私が海外に目を向けたのは1999年。当時メディアでは「21世紀の日本に製造業は不要。これからの製造は、すべて中国でおこなわれる」といわれており、悔しさもあって海外の工場を見に行くようになって。「世界中にネットワークを持ち、各国の欲求に応えられる製品をつくりたい」というのは、そこから生まれた当社のビジョンです。
小浦 進出前に、先のことも細かく考えられてるんですね。
田中 これを実現するためにはネットワークが必要。東大阪とか、ものづくり企業のネットワークってあるじゃないですか。技術力や互いの信頼関係があって協力グループになる。今はその企業が、国を超えてホーチミンにあるというような、広域ネットワークもありかなと考えていて。
山田 私が、関西のものづくり企業のベトナム進出を支援する「ザ・サポート」を立ち上げたのも、ネットワークの重要性を感じたからです。東日本大震災以降、急に円高になり、ものづくり企業は追いつめられた。このままだと日本のものづくりを支える企業がなくなるという不安から、「ザ・サポート」設立に至りました。今は10社ほどのお世話をしながら、工業団地とその周辺でやっています。
小浦 具体的にはどういった支援をされているのですか?
山田 ローカルスタッフは5名ほどいて、現地法人の設立やライセンスの取得、税務・会計、輸出入まで進出企業の問題を一緒に考え解決していく。製造の従業員だけ雇って、あとは「ザ・サポート」に丸投げして、社員10人くらいの会社でも進出できるように。中小企業が、最小コストで挑戦できる環境をつくりたいと思っています。
小浦 海外に出るには人材、制度、言葉、手続きなど、越えなければならないハードルがいっぱいありますからね。それをサポートしてもらえると、一気に進出しやすくなる。
山田 最終的な目標は100社、200社と進出して、日本のものづくり企業の集積地ができ、ベトナム版の八尾や東大阪のようなクラスターができて、クオリティやコストパフォーマンスが打ち出されれば、欧米からも発注がくるかもしれない。「町工場のグローバル化」といわれるが、一社だけでは難しい。ものづくり企業が1ヵ所に集積することで、機械加工、プレス加工、板金、メッキまで協働できる。
田中 山田さんのおっしゃるように、ベトナムが日本の工場の集積地になれば、扱う資材の量も大きくなり、商社などからのアプローチも期待できますね。

海外進出企業のビフォー・アフター。

小浦 進出後の嬉しい誤算としては、新規開拓ができたこと。まだプレハブ工場の頃、ウェブサイトにベトナムに拠点があることを掲載したら、日本国内から多くのアクセスがありました。新規が増えたのは、コストダウンできるという期待からでしょうね。チャイナ・プラス・ワンとして、ベトナムのポテンシャルが着目され、そこに早くから進出していることで、今後メリットがあると思われた。
山田 1997年当時の人件費は安く、工賃を安く上げられるメリットがありました。リーマン・ショックで国内の経営が厳しくなった時も、ベトナム工場があったから一定の生産高を維持することができ、乗りきることができたんです。
小浦 とはいうものの、技術はまだそれほど高くなく、原料も輸入しないといけない。だから中国で工賃が高騰したから、すぐにベトナムに移せるかというと難しいんです。
田中 「インフラが整っていない」とよくいわれますね。
山田 実はうちも'94年に一度チャレンジしましたが、それが原因で失敗しているんです。以前の経験から、インフラが未整備なのが分かっていたので、今回は塗装、プレス、ダイキャスト、板金などの設備を徐々に導入して、部品づくりもベトナムでできる体制を整えていきました。
田中 海外進出した企業からよく聞くのが、従業員の教育や現地管理者の不足。特にローカルのキーマン育成は重要に思えます。ただシフトを管理できる、ちゃんとしたマネージャーを雇おうと思ったら、国内で新卒を雇用するのと変わらない人件費がかかるんですよね。
山田 うちは現地常駐している日本人社員は、当初から加門前社長だけで、'97年から12年間、熱心に技術指導をおこなってきました。当時は言葉の問題で、細かいニュアンスが伝わらないと言っていましたね。マネジメントにあたって、やはり「言葉は最大の壁」です。
小浦 日本人を駐在させている会社も、ゆくゆくは、ローカルスタッフだけでやりたいと考えているはずです。
山田 よく話すのが「3年から5年かけて良いスタッフを育成する。その育った時がスタート」ということ。その間は儲からないかもしれなので、最低限の仕事を押さえておく。うちでは加門前社長がやってきたことを、コア現社長が踏襲しつつ、工夫を入れている。
小浦 性格的なことを言えば、時間もちゃんと守るし、日本人に近い感覚がある。優秀な人も多いですし。でもたまに、上から目線で接する人がいて、そういう人は信頼しない。
山田 たしかにベトナム人は、プライドが高いところがある。そのかわり、こちらが信頼してきちんと評価すれば、必ず期待に応えてくれます。
小浦 現状ベトナムは人材不足なんです。私たちが進出した2005年頃から、それは言われていて。マネージメント人材だけでなく、場所によってはワーカーも不足している。
田中 人材でいうと将来のことを考えて、現地キーマン育成のために、実習制度を使うかどうか迷っているんです。
小浦 実習制度のデメリットはひと通りのことを覚えて、脂が乗ってきた頃に帰国すること。メリットは3年間の縛りがあるので、期間中は一生懸命に働くこと。技術者はワーキング・ビザで、延長すれば何年でもいられるので、そこまでは頑張らない。一度導入してみて、いい人が入れば、「現地で会社を立ち上げる時にマネージャーを任せたい」と、モチベーションを与えてあげれば、頑張ると思いますよ。
山田 今、在留資格認定について調べているのですが、新しくポイント制が導入されており、学歴や職歴、年収などの項目ごとにポイントを設け、その合計が70点以上であれば、出入国管理上の優遇措置が与えられます。ただ大学を出ていなければ、実習生として採用するしかない。それと実習制度を利用すると、安くはない出費が必要ですから、その覚悟でやらないと。
田中 それは将来への先行投資ととらえています。
小浦 人材の確保や育成とともに、大切なのが管理体制の確立です。うちでは出納帳の明細と項番をエクセルファイルと紐付けた、独自の財務システムを構築しています。材料費であれば、それが何の材料費なのか、項番をすべてに振り、全項目で総計が合うまでチェックしています。
田中 製造原価管理ですよね。それがきっちりできているから、「粗利率が高過ぎる」とツッコめるわけですよね。
小浦 それとリアルタイムでやりとりできるテレビ電話と、遠隔拠点・工場を監視するシステムを導入して、モニターで現場を常時チェックできるようにしています。そういう細かい管理をすることが不正の抑止力になり、スタッフの意識の向上、さらには品質の向上にもつながるんです。

富士インパルス・ベトナムのゲート正面。プリント基板のアッセンブリやインパルスシーラーの組み立てを行っている。

ザ・サポート株式会社のベトナム事務所。現在5名のスタッフが企業のサポートをしている。
http://www.thesupport.jp/

日本型ものづくりの国外での継承と発展。

小浦 変化のスピードが速いと言われていますが、実際に現地にいると全然速くない。まだ発展途上の国ですが、中国のように一気に駆け上がる、スピード感はないですね。
山田 為替や日本国内の情勢の変化のほうが大きい。円高になったり円安になったりで私たちが振り回されてます(笑)
小浦 そうですね。10年前と4、5年前に出た企業、この進出時期の違いは大きい。円高の頃はすごい勢いで進出も増えましたが、円安になったとたんピタッと止まりましたから。長期的に見れば経済は伸びていますが、だからといって、来てすぐ仕事がどんどん入る状況ではない。
山田 最近は仕事も少ないといいますね。
小浦 円高から円安に移るタイミングで進出した会社では、不景気だった時期でもあり、早々にリタイアしたところも。ビジネスの内容によりますが、そのあたりはしっかり、リサーチしてこないとダメです。それと現地に着いたら、すぐ動きたくなると思うのですが、きちんとしたQCDが確保できる、ものづくり体制が整備するまで、営業すべきではありません。まずはなにより「体制整備が先決」。
田中 私がベトナムに注目するのは、「地政学的優位性」。ASEANに加盟し、TPPにも加入している。つまり北米からシンガポールまでカバーできる。原産地証明ですから、日本企業がベトナムでものをつくって、ASEANに輸出するにしても、逆にASEANからオーダーがきたものを、ベトナムでつくってアメリカに送っても、関税はかからない。
山田 ベトナムがTPPでどんな役割を果たすのか、そこは非常に気になるところですね。
田中 それと今まではベトナムに進出するなら、ハノイかホーチミンの両極しかなかったのが、ダナンの南部に中部都市工業団地ができていて。4年前に自動車の工場が集中するタイが水害にあった時、一時的な受け皿となったことがありました。将来的にはここを中心とした、自動車生産の「中継地点的」な発展の仕方もあると思うんです。
小浦 そういう流れで、変わってくる可能性はありますね。
山田 ベトナムの最大の魅力は、平均年齢30歳以下と若いことだと思います。当社も海外展開は、少子高齢化対策のひとつとして始めました。国内での、ものづくりの次世代育成は重要ですが、質的・量的に十分とはいえない。ベトナムなら若い労働力が期待できる。また人と人とのつながりを大切にする、信頼関係を築きやすい土壌もある。ものづくり企業の経営者なら、家族のような関係をつくり、上手くやっていけるかもしれない。
小浦 人材確保のために、パイプを持つのはいいですね。
山田 うちには後継者育成のためにつくった、名古屋工場もあり、今は60代の職人が3人で回していますが、そこに若いベトナム人を入れて、いずれは彼らに任せたい。同時にベトナムで優秀な人が育ったら、ここに呼ぶつもりです。
田中 今も海外には半年に1回は通っていますが、毎回、感じるのはその情熱。ローカルで働いている人は、社長だけでなくて、若い職人も、熱い人が多いんですよ。彼らには、日本のものづくり精神に通じるものを感じます。
小浦 私が実習制度を利用する理由も、それです。
山田 長期的なビジョンを持つことが大事です。ただ技術や価格の問題があって、中国のモデルケースはここでは通用しない。難しいものは日本の企業で、大量生産できるものはベトナムの企業と、日本が貢献できる領域、分野を担う。ベトナムだけで、いろんな部品を作るのは難しいですが、それを助けるのが日本のものづくり企業だと考えている。それが日本のためでもあり、ベトナムのためでもあります。

紀和テクニカルワークスのベトナム工場。

門真市の本社とモニターで細かいニュアンスが確認でき、コミュニケーションも密に。

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